ひろぽん鍼灸三年生@偏差値51.8のブログ

47歳(8月28日が誕生日です)が色々苦労しつつ鍼灸師の勉強をする日常。主に苦しんでます。

②生きているだけで奇跡、または呪い

 昨日の模試が良かったのでやる気を出して日付をまたいで勉強していたら朝寝坊して仕事に遅刻してしまった。朝七時からのバイトなので通勤時間や身支度を考慮すると朝五時過ぎには起きないと間に合わない。目覚まし時計を二個使っているのだが、寝る時に睡眠薬を服用している事もあって寝る時間が遅くなると寝過ごす事がある。

 今朝は目が覚めたら一時間少々寝過ごしていた。タイムリープとか時間泥棒とか色々理由は考えられるのだがそんな事は言っていられない。職場にはバイクで通っており駐輪場もあるのだが有料である。毎回数百円支払ってなぞいられないので駐車禁止区域の外に停めて20分くらい歩いて職場まで行っているのだがそんな時間の余裕はない。

 

 かくして遅刻して給料が減った上に金を払って駐輪場を利用するというお金が大好きな私にとって非常に不愉快な朝から一日が始まった。おまけに業務について説教までされてしまい好調な日々に思いっきり水をかけられてしまった。

 と、いうわけで帰宅して三個目の目覚まし時計を用意し、モダンタイムスもかくやといわんばかりの労働に生活を合わせる事になった。

 

 だからどうしたという話であり、前回の続きにいきなり入ろうと思う。確か静かな生活を夢見て始めた国家公務員としての生活が精神的に完全に破綻したあたりからだったと思う。

 精神的に破綻しきっていたのは自分でも分かっており、うつ病が「鬱病」とランクアップするレベルに達していた私は地元に帰ってドラスティックな効果のある治療を受けようとしていた。働いていた時もうつ症状がひど過ぎたので服用するより効果があるといわれている抗うつ剤の点滴を毎週受けていたのだが猫の手ほどにも役に立つ事がなかった。結局は前回紹介したリタリンという今では処方適用外にされてしまった危ない薬を粉末にして鼻から吸引するという更に危ない行為によって何とか動けていた。

 

 平日は仕事だけで気力が尽き、洗濯ものどころか風呂に入る気力もなく酒を飲んで寝るだけで、週末にリタリンの力でハイになりその勢いで掃除洗濯家事その他を済ませるという誰が見ても薬物依存症な生活を送っていた。

 どれだけ余裕がなかったかというと、虫歯になったのだが平日は仕事が片付かないのと自分の予定を守れないので治療に行く事ができず、悪化してしまって抜歯するしかなくなった歯が何本もある。特に奥歯は数本ずつないというありさま。風呂に入る余裕がないという事は当然歯磨きもしていなかったので口の中はドブ並みに雑菌だらけ。

 

 もう、まともに体が動かない。

病気休職という形で治療のための時間を手に入れた私はある治療法を切望していた。電気ショック療法である。麻酔をかけた状態で電気ショックをかけるので痛みや苦痛を得る事はないという所まで調べていた。そして、脳に電気ショックをかけて再起動を促す事で治療効果もかなり見込めるとも知っていた私は地元に戻ると精神科を抱えている大病院に片端から電気ショック療法を受けられないかと問い合わせた。

 が、残念な事に積極的に行っている病院はなく、よしんば鬱病で入院したとしてもやる事は寝て飯を食って薬を飲むだけという家で療養するのとさして変わらぬ加療しか受けられないという残念な話も聞かされた。

 

 病気休職中の話であるが、リタリン躁状態になっては払えもしない代物に散財をして家族に多大なる迷惑をかけたと前回述べた。最後には家族の前でクレジットカードにハサミを入れてもうこれ以上の迷惑はかけぬと誓うまでに至った。

 一つだけ言い訳をするならば、病気休職という事で山ほど積みあがった仕事漬けの日々から解放された私は何をしていいのか、何かしたい事もないという圧倒的な虚無感に囚われてしまっていた。生活のほとんどを占めていた仕事が急に消えたので消えた跡に生じた空虚さをなんとかしなくてはいけなかったのだ。

 

 だが、する事もしたい事も出てこないのがうつ病というものである。日課として毎朝通院して抗うつ剤の点滴を受けるのだが、病院を一歩出ると足をどちらに向けていいのか決められない。

 どっちに行っても何もないし、どっちに行く理由もない。リタリンで空虚ではあるがハイテンションになっている時だけが救われた時間だった。

 

 昼間行くところもなくあてもなくほっついていた私は、当然なのか偶然なのか

 

「昼キャバ」

 

などが集まっている昼間の風俗街に足を踏み入れるようになった。大してお金もかからない上、何もする事のない廃人相手にも優しかったのだ。別に一軒の店に入れあげる訳でもなく足がおもむいた先にふらりと足を踏み入れて初対面のキャバクラ嬢と話をする。

 売上にもならない一見の振りの客に対して女の子たちは優しかった。精神をやられて療養中である事を話すと、

 

「あたしもこんなのだけど、大変よね」

 

リストカットした跡を見せてくる子も珍しくなかった。

 

 そんな風に風任せに昼間の閑散とした歓楽街を彷徨っているうちに、ある店にぶらりと入る事になった。接客についた子はやる気が無かったのかあったのか今考えると疑問なのだが、映画の話になってどんな映画が好きかという問いかけに対してその子は

 

ルイス・ブニュエルとか」

 

と答えた。ここで解説が必要だろうと思うのだが、ルイス・ブニュエルというのは第二次世界大戦頃のダダイズムに多大なる影響をあたえたスペインの映画作家で、有名どころで言えばサリバトール・ダリなどと組んで活動していたマニアックな方である。

 会話を盛り上げるのが仕事のキャバクラでドがつくマニアックな映画監督を出してくるというのは野球の試合でいえば先頭打者の第一球からマジ狙いでデッドボールをぶつけてくるようなものである。やる気あんのかお前という話なのだが、たまたま私も高校時代カルト映画などを見まくっていたのでルイス・ブニュエルも非常に良く知っていた。

 

「ああ、あの目ん玉カミソリで切るやつでしょ」

 

もう説明は不要かもしれないが、「アンダルシアの犬」という作品の有名なシーンである。

 

 デッドボールを打ち返してホームランになったのか、それをきっかけにしばらくして私はその子と付き合う事になる。地方の特徴であるが、地元の歓楽街で働いていると地元バレの危険があるので隣の街の歓楽街で働くというのがスタンダードスタイルであった。

 その子も例に及ばず、少し離れた街から通ってきていた。私は実家で静養中なのでどこかにしけこむという事もあまりなく、店で会って無料サービスのビールをガンガン飲まされながら話したり、長電話をしたり、時折街をぶらついたりしていた。

 

 何をしていいか分からなくなっていた私にとって、その子と話し、その子の悩みやたわいない話に付き合って興じるのが大きな重石のようなものになっていた。仕事の悩みからも解放されて自由きままな生活を送りながらのその子との交際は生涯最後の楽園と言えたのかもしれない。

 ただ、彼女にとっては先の見えない仕事やストレスなどがあり、能天気な私に気づくだけの繊細さの持ち合わせがあろうはずもなくひたすら短いながらも久しぶりに訪れた春を謳歌していた。

 

 ある日、彼女は入院してしまった。

 アトピーの持病を抱えていたり、健康とは言えなかった彼女だが、帯状疱疹が悪化してしまったのだ。当時はガラケーの時代でメールでのやりとりしか連絡の取りようがない。

 精神的に安定しているとはとうてい言えず風任せで過ごしていた私は、いつの間にか彼女との連絡も疎遠になっていった。

 

 もう数十年近く前の話だが、彼女が私を呼ぶときの少し鼻にかかった

 

「ひろぽん?」

 

という声は覚えているような気がする。

 

 そして休職も二年近くが経ち、精神的にも経済的にも全く良くなった実感が持てないままなし崩しに復職が決まり、私は某県の二年近く家主不在となっていた自宅へと戻っていった。

 そこで待っていたのは、凪のような穏やかな日々がちょっぴりと、百通りものパワハラを使い分けるとんでもない上司との出会いであった。

 

 楽だったとは言い難いが、外から受けるストレスが無かっただけ、自分の人生の中で過ごした小康期だったと今は思う。次に出会う厄災までの助走期間だったと言うのがあながち間違いでない所が複雑ではあるが。